2015年 02月 09日
人間は罪深い |
後藤健二さんを政府が助けるつもりなどなかった、という意見をきく。
その意見に同感をおぼえる。
言葉ではナンとでも言える。
テロは許せない、できるだけのことをする、なんて誰だって言える。
政府の誠実さも努力も全く信じられない。
言葉悪くあえて言えば片付いて(身内の方々には最悪の結果で)
これで面倒な交渉や自分達の責任が問われる事態が避けられて
ホッとしていると言うのが本音なのではないか、こんなふうにかんぐってしまう。
大2次大戦で全国民を犠牲にしてもかまわなかった時の政府。
国民の人権を守るという概念がいまだに全く育っていない現在の政府。
国民ってそんなに使い捨てみたいな存在なのか。
ヨルダンのパイロットが生きたまま焼き殺されたニュースにも
大変な衝撃を受けて悩まされた。
彼の破壊された精神が表情から読み取れた。
そして思いは15世紀に飛んだ。あの魔女狩りだ。
こんな表情で15世紀に魔女狩りにさらされた無実の人びとは
焼き殺されたのだろうか。
その時の正義はキリスト教で
いまのイスラム国の正義は”イスラム教”(ではないという人もいるので “” つきで)
やっぱり人間と言うのはどうにも始末に終えない。
一度地球から消えてしまって
他の生き物達がいちからやり直したほうが良いのか、なんて考えてしまう。
でも今生きている小さな子どもたち、孫も含めて。
彼らに明るい未来をあげたいとも切に願う。
先日見た映画 Le papillon(the butterfry)にいろんないい会話があるのだけれど
地球上の生き物を皆天国へ送ると神がきめたとき
どうぶつ達は人間も?と不満だが
それは急いで7日で人間を作ってしまった自分の責任でもあるからと神はいう。
もう少し時間をかけて丁寧に人間を作ればよかったと。
全宇宙の全エネルギーの中で人間は負のエネルギーを発する存在なのだ。
そんな負のエネルギーを押さえこむエネルギーは
やはり人間が作り出すしかないとは思うけれど
何処で、どうやって、という具体的なことになると
何も答えが出てこない。
祈りますけれど...願いますけれど...
スーシーとチャチャよ。
by morigurasi
| 2015-02-09 10:28
| 生活